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盛岡地方裁判所 昭和30年(わ)263号 判決 1959年10月26日

被告人 山本清三郎 外七名

主文

被告人山本清三郎、同山本ヨシノ、同山本満雄をそれぞれ懲役四月に、被告人小川市蔵、同立花金作をそれぞれ懲役三月に処する。

ただし、右被告人ら五名に対しこの裁判が確定した日からそれぞれ一年間右刑の執行を猶予する。

本件公訴事実のうち、被告人山本ヨシノの窃盗および差押の標示無効の点につき、同被告人は無罪。

本件公訴事実のうち、被告人山本清三郎、同小川市蔵、同立花金作、同山本満雄らの森林法違反の点につき、同被告人らはいずれも無罪。

被告人山本定蔵、同斎藤実、同藤本正利はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人山本清三郎、同山本ヨシノ、同小川市蔵、同立花金作および同山本満雄の五名は、いずれも岩手県二戸郡一戸町大字小繋(以下「大字小繋」という。)字小繋に居住し、農業に従事しているものであるが、

第一、被告人山本清三郎の妻である同山本ヨシノが大字小繋字新館林八七番地の一の一所在の山林内から伐採搬出し、大字小繋字小繋六五番地の自宅前に積み重ねていた長さ約三〇糎の楢薪約一間につき、申請人(仮処分債権者)鹿志村亀吉、被申請人(仮処分債務者)山本清三郎ほか二名間の盛岡地方裁判所昭和三〇年(ヨ)第四〇号、同年三月一六日付仮処分決定にもとづき、右申請人の訴訟代理人弁護士中村伝七の委任を受けた同裁判所執行吏太田豊彦が昭和三〇年三月一九日午後二時過頃右楢薪の積まれている現場にいたり、申請人の代理人鹿志村光亮および被申請人たる山本清三郎立会のもとに、同被告人の右楢薪に対する占有を解いて同執行吏の占有に移し、申請人代理人鹿志村光亮の保管に委ねるとともに、右楢薪の移動搬出などその占有を侵害する一切の行為を禁止してこれを差し押え、かつ縦約三〇糎、横約六〇糎、厚さ約一糎の松板に、右差押の趣旨ならびに同執行吏の右占有を侵害しまたは公示札を移動破棄するときは刑罰に処せられる旨を墨書した公示札に長さ約一・五米の棒木を取りつけたものを人夫佐々木村蔵をして右楢薪の横側上部に釘で打ち込ませ差押の標示を設置したところ、前示被告人ら五名はいずれも右差押の事実および楢薪の占有が執行吏に移つたことを知りながら、

(一)  被告人山本ヨシノは右同日午後五時頃、前示自宅前において、「自分が取つたものを、何だこんな真似をして」といいながら、釘付けにしてあつた右公示札を両手で引張つて楢薪から剥ぎ取り、これを自宅前の庭先付近の地面に投げ棄て、もつて公務員の施した差押の標示を損壊し、

(二)  被告人山本清三郎、同小川市蔵、同立花金作および同山本満雄の四名は少年Kと共謀のうえ、昭和三〇年三月二〇日午前六時頃、前示場所において太田執行吏の占有に属する右楢薪約一間を、安田仁三郎こと安鳳鶴にその運搬方を依頼された畑山末吉の運転する大型貨物自動車の荷台に積み込み、もつてこれを窃取し、

第二、被告人山本満雄はかねて大字小繋に居住する一部の部落民と鹿志村亀吉との間でその所有権および入会権の存否につき永年にわたつて紛争を続けている大字小繋地区の山林内で立木を伐採しあるいは搬出したりなどしているとき、それら山林の所有者であると主張する鹿志村亀吉からその管理を命ぜられている同人の甥鹿志村光亮から右伐採あるいは搬出などをしている現場を写真に撮影されたことがあつたため不快の念を抱いていたところ、昭和三〇年一〇月八日午前一一時頃、大字小繋字小繋一二二番地の一および二所在の通称耳沢山という山林内で弟の少年Yとともに数日前伐採しておいた長さ約四米、末口の直径約一二糎の杉丸太を搬出するため、これを両名が肩にかつぎ上げようとした際、たまたまその場に来合せていてその状況を見ていた前示光亮が両名の前方約六米の地点でその光景を写真に撮影したため、これを知つた被告人満雄および孝はいたく憤慨し、右丸太を直ちに地上に下し光亮の傍に駆けより、同人が無断で被告人満雄らを写真に撮影したことを詰り同人と口論の末、両名は意思を通じ、被告人満雄においていきなり光亮の肩付近を一回強く突き飛ばし、そのため同人が後方によろめくや、孝は光亮が右手に持つていた革紐付ケース入りのパールII型ヘキサーF4.5付写真機(昭和三一年領第一一二号の四三)を右手でつかみ、続いて被告人満雄がこれを両手でつかみ、両名が力をあわせて右写真機を力一杯引張るなどし、もつて被告人満雄はYと共同して光亮に対し暴行を加え、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人山本ヨシノの判示第一の(一)の所為は刑法第九六条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に該当するので、所定刑のうち懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で同被告人を懲役四月に処し、被告人山本清三郎、同小川市蔵および同立花金作の判示第一の(二)の所為は刑法第二三五条、第二四二条、第六〇条に該当するので、所定刑期の範囲内で被告人山本清三郎を懲役四月に、被告人小川市蔵および同立花金作をそれぞれ懲役三月に処し、被告人山本満雄の判示第一の(二)の所為は刑法第二三五条、第二四二条、第六〇条に、判示第二の所為は大正一五年法律第六〇号暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第二号にそれぞれ該当するところ、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、判示第二の罪の刑につき所定刑のうち懲役刑を選択したうえ、同法第四七条、第一〇条に則り刑期の長い判示第一の(二)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役四月に処する。ただし、諸般の事情を考慮し刑法第二五条第一項第一号に従い右被告人ら五名に対しそれぞれこの裁判が確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。なお、訴訟費用については、右被告人ら五名はいずれも貧困であつて納付できないことが明らかであると認められるので、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して、これを負担させないことにする。

(強盗の訴因に対する説示)

本件公訴事実のうち、被告人山本満雄の強盗に関する訴因の要旨は、

右被告人は弟Yと共謀のうえ、判示罪となるべき事実第二に記載の日時および場所において鹿志村光亮に対し判示のような暴行を加え、もつて同人の反抗を抑圧し、その所持にかかる判示写真機一台を強取した。

というにあるところ、右両名が鹿志村光亮に対し共同して暴行を加えたことは、判示第二において認定したとおりであり、かつその際光亮の所持にかかる写真機が右被告人らの手中に帰したことも判示第二の事実認定に供した証拠によつて認められるが、それはたんに右暴行手段の結果にすぎず、被告人らにおいて写真機を不法に領得する意思をもつて暴行を加えたものであることを肯認するに足る証拠がない。よつて右訴因による強盗罪の成立は認められないので、判示第二に記載のとおり暴行の行為についてのみ犯罪の成立を認めた次第である。

(無罪部分についての説示)

第一、窃盗および差押の標示無効の点について

一  本件公訴事実のうち、窃盗および差押の標示無効に関する訴因の要旨は、

被告人山本清三郎、同山本ヨシノ、同小川市蔵、同立花金作および同山本満雄は少年Kと共謀のうえ、昭和三〇年三月二〇日朝、被告人清三郎方前において、盛岡地方裁判所執行吏太田豊彦が仮処分決定による差押の標示として公示札を設置し、かつ同執行吏が自己の占有に移した楢薪約一間を畑山末吉の運転するトラック一台に積み込み、これを二戸郡一戸町大字小鳥谷字穴久保二〇番地の四安田仁三郎こと安鳳鶴方まで運搬して同人に引き渡し、もつて右薪を窃取するとともに、前示公務員の施した差押の標示を無効とならせた。

というにあるところ、右事実のうち被告人山本清三郎、同小川市蔵、同立花金作および同山本満雄(以下「被告人清三郎ほか三名」という。)についての窃盗の点は、前示罪となるべき事実欄の第一の(二)において認定したとおりであるから、以下においてその余の点に対する当裁判所の判断を説示する。

二  まず被告人ヨシノの窃盗および差押の標示無効の点について検討してみるに、

(1) 山本善次郎の昭和三〇年一〇月八日付検察官に対する供述調書中に、「昭和三〇年三月二〇日午前六時頃、何処かのトラックが来て山本清三郎の薪を積んでいるのを見たが、その際同人ら七名の男のほか、清三郎および市蔵の妻達が盛んに積み込んでいた。」旨の記載があり、その記載部分によれば山本清三郎の妻である被告人ヨシノも薪の積み込みに共同加助した事実がうかがわれないでもない。ところで、がんらい右供述調書は第二三回公判期日において被告人ヨシノらに対する前示公訴事実を立証するため検察官より刑事訴訟法第三二一条第一項第二号後段に該当する書面として証拠調の請求がなされ、当裁判所においてこれを採用し証拠調を了したものであるが、右条項の前提をなす当裁判所の証人山本善次郎に対する尋問調書をみると、検察官らは被告人ヨシノが薪を積み込んだ現場にいたか否かについては何らの尋問をしておらず、また同証人もその点につき何らの供述をもしていないから、少くとも右にあげた供述調書の記載部分は前示法条に定める「公判準備期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき」という要件を充足していない。したがつて前示記載部分を有罪認定の証拠に供することはできない。

(2) 証人畑山末吉は第一四回公判期日において、「昭和三〇年三月二〇日朝、安田に頼まれて小繋部落にトラックを運転して行き小川市蔵方の薪約一間をトラックに積み込み、次いで同人方前の家の薪二間を積み込んだが、その際部落の人五、六人が手伝つてくれ、その中に女の人が二人位いて後の方から薪を積むのを手伝つてくれた。そのうちの一人は三五、六才位で黒色模様のモンペを履き、風呂敷をかぶつていた、もう一人の女の人は前の女の人より少し若いようだつたが手拭をかぶつていた。検察庁で鏡越しに女の人を見せて貰つたとき、その女の人は薪をトラックに積み込む際トラックの後の方から薪の積み込みを手伝つてくれた女の人と顔形が似ている、と述べたことがある。」旨供述しているが、検察庁で鏡越しに見せられた女性が果して誰であつたか明らかでないし、また仮りにそれが被告人ヨシノであつたとしても右のようなあいまい不確実な証言によつては、同被告人が前示供述中の女性のうちの一人であると認めることはできない。さらに畑山末吉の昭和三〇年一〇月八日付検察官に対する供述調書中に、前示薪の積み込みの際、「小川市蔵と山本清三郎と氏名不詳の若い男五・六人と二・三人の女達が手伝つてくれた。旨の記載があるが、その記載部分のみによつてはもちろん、前示証言と総合しても、右薪の積み込みを手伝つた女性の中に被告人ヨシノが含まれていたと認定することはできない。

その他の全証拠を精査してみても、被告人ヨシノが前示公訴事実に該当する所為に出たことを認め得ないから、刑事訴訟法第三三六条を適用して、同被告人に対し右公訴事実につき無罪の言渡しをする。

三  前示罪となるべき事実欄の第一の(一)において認定したとおり、昭和三〇年三月一九日午後二時頃、盛岡地方裁判所執行吏太田豊彦が仮処分による差押の標示として設置した公示札は、同日午後五時頃被告人ヨシノにおいて剥ぎ取りこれを自己の居宅前の庭先付近の地面に投げ棄て右標示を損壊したから、被告人清三郎ほか三名らが共謀のうえ右差押の標示を無効とならせたという昭和三〇年三月二〇日朝は、右損壊の行われた日の翌日のことであり、かつ証人立花与四郎の第一二回公判期日における供述記載、証人畑山末吉の第一四回公判期日における供述記載および当裁判所の証人山本善次郎に対する尋問調書を検討してみると、前示二〇日の朝被告人清三郎ほか三名らが差押の対象となつた楢薪を自動車の荷台に積み込んだ当時その付近に太田執行吏の設置した公示札の存在していなかつたことが認められ、他の全証拠を検討してみても右認定を覆すに足るものはない。

がんらい刑法第九六条にいわゆる「公務員ノ施シタ差押ノ標示ヲ無効タラシメタ」ものとして同条所定の犯罪が成立するためには有効な差押の標示の存在することを前提とするものと解すべきところ(最高裁判所・昭和二九年一一月九日第三小法廷判決、刑集八巻一一号一七四二頁参照)、前示のとおり本件差押の標示たる公示札は、被告人清三郎ほか三名らがその標示を無効にしたという日の前日すでに被告人ヨシノの手によつて剥離損壊され、しかもその当時公示札が存在せず、差押の標示と目すべき物が存しない状況にあつたのであるから、そのような状況のもとにおいて、被告人清三郎ほか三名らが太田執行吏の差押えこれを自己の占有に移した楢薪を他に搬出移転させたとしても、同条所定の犯罪を構成するいわれがない。してみると、本件公訴事実のうち被告人清三郎ほか三名に対する差押の標示無効の点についてこれを認めるに足る証明がないことに帰するが、この点は前示罪となるべき事実欄の第一の(二)の窃盗の点と数個の罪名に触れる一個の行為であり、科刑上の一罪の関係にあるものとして公訴を提起されていると認められるところ、窃盗の点については有罪の認定をしたので、右差押の標示無効の点については特に主文で無罪の言渡しをしない。

第二、森林法違反の点について

一  本件公訴事実のうち、森林法違反の点に関する訴因の要旨は、

(一) 被告人山本満雄および同山本定蔵は少年Yと共謀のうえ、昭和三〇年九月二〇日頃から同年一〇月六日頃までの間、前後三回にわたり大字小繋字小繋一二二番地の一および二所在の鹿志村亀吉所有にかかる通称耳沢山という森林内において、同人所有の杉立木二〇本を伐採して、これを窃取し、

(二) 被告人立花金作は昭和三〇年九月二二日頃大字小繋字小繋四九番地の自宅において、被告人山本満雄から同人らが前項に記載のような事情のもとに盗伐した杉立木を丸太にしたものの運搬方を依頼され、その事情を知りながら、少年Y、同Kほか数名の者と共謀のうえ、即日右耳沢山という森林内から杉丸太長さ約六米のもの、約三・六米のものを取り混ぜ、合計約一三本を北方約五〇〇米離れた国道筋の小繋小学校長宅まで搬出し、もつて賍物の運搬をし、

(三) 被告人山本清三郎、同立花金作は立花甚四郎、鹿川稔らと共謀のうえ、昭和三〇年一〇月七日頃大字小繋字新館林八七番地の二所在の鹿志村亀吉所有にかかる通称トイタナという森林内において、同人所有の杉立木六本および檜立木一本を伐採して、これを窃取し、

(四) 被告人斎藤実、同藤本正利の両名は昭和三〇年一〇月八日頃大字小繋字小繋五三番地片野源次郎方において、山本清三郎および立花甚四郎から、同人らが前項に記載のような事情のもとに盗伐した杉立木を丸太にしたものの運搬方を依頼されるや、その情を知りながら共謀のうえ、即日右甚四郎らとともに、前項記載の通称トイタナという森林附近から杉丸太長さ約一・八米のもの約一九本を約五〇〇米離れた大字小繋字下平八〇番地立花五兵衛方製材所まで搬出し、もつて賍物の運搬をし、

(五) 被告人山本満雄、同山本定蔵は少年Yと共謀のうえ、昭和三〇年一〇月一二日頃および翌一三日頃の両日にわたり、前示(一)に記載の通称耳沢山という森林内において、鹿志村亀吉所有の杉立木一八本を伐採して、これを窃取し、

(六) 被告人小川市蔵は昭和三〇年一〇月一五日頃および同年同月一六日頃の二回にわたり、大字小繋字下平一〇五番地の二所在の鹿志村亀吉所有にかかる通称松坂道という森林内において、同人所有の杉立木五本を伐採して、これを窃取し、

(七) 被告人山本清三郎は昭和三一年七月上旬から同年八月中旬までの間、前後数回にわたり、前示(一)に記載の通称耳沢山という森林内において、鹿志村亀吉所有の杉立木二〇本を伐採して、これを窃取し、

(八) 被告人小川市蔵は昭和三一年八月上旬、前示(三)に記載の通称トイタナという森林内において、鹿志村亀吉所有の杉立木六本を伐採して、これを窃取し、

(九) 被告人山本清三郎は昭和三一年八月中旬、前後数回にわたり、大字小繋字下平一〇五番地の二所在の鹿志村亀吉所有にかかる通称松坂という森林内において、同人所有の栗立木六本、唐松立木四本および赤松立木一本を伐採して、これを窃取し、

(一〇) 被告人小川市蔵は昭和三一年八月下旬から同年九月中旬までの間、前後三回にわたり、前項記載の通称松坂という森林内において、鹿志村亀吉所有の唐松立木五本を伐採して、これを窃取し、

たものである。というにある。

二  右公訴事実によれば、それぞれ当該被告人らにおいて森林の産物たる杉、檜、赤松などの立木を伐採窃取していわゆる森林窃盗に該当する行為を行い、あるいは右森林窃盗にもとづく賍物の運搬をしたものとして公訴を提起されているが、そのうち公訴の対象となつた森林(以下「本件森林」という。)の産物についての所有権が果して検察官の主張するように鹿志村亀吉に属するか否か、および森林窃盗に該当する行為に出たとされる被告人らが本件森林の産物たる立木を伐採する権原を有するか否かの点についてはしばらく措き(この点は次段において説示する。)、その余の点について検討してみるに、

(証拠略)

三 よつて進んで、本件森林の産物たる立木などが鹿志村亀吉の所有に属するのか、および右産物たる杉立木などを伐採窃取していわゆる森林窃盗に該当する所為に出たとして公訴を提起されている被告人らがそれらの立木を伐採する権原を有したか否かの点について検討する。

(一)  右の点を審案するに先立ち、本件森林を含む別紙物件目録に記載の山林原野(以下「本件山林原野」という。)に対する入会権の存否につき被告人らの一部を当事者の承継人とする民事判決があるので、その判決における既判事項と当裁判所の判断との関係につき考察することにする。

当裁判所大正六年(ワ)第四一号入会権確認並妨害排除請求事件(以下「前訴第一審」という。)についての訴状およびこれに添付の委任状二通ならびに判決書、宮城控訴院昭和七年(ネ)第一三五号入会権確認並妨害排除請求控訴事件(以下「前訴第三審」という。)についての判決書、大審院昭和一一年(オ)第二一一六号入会権確認並妨害排除請求上告事件(以下「前訴第三審」という。)についての判決書、二戸郡小鳥谷村長より当裁判所刑事部裁判長宛の昭和三二年六月二五日付の回答書と題する書面、証人小川石太郎の第八回公判期日における供述記載、証人土川マツエの第一〇回公判期日における供述記載および被告人山本定蔵の昭和三〇年一一月七日付の検察官に対する供述調書を総合すると、大正四年六月頃小繋部落に大火があり住宅の大半を焼失したため、部落民が本件山林原野から建築用材に供する立木を伐採したことに端を発して、同山林原野につき入会権がありその立木を伐採する権原を有すると主張する部落民の一部と、これを否定し同山林原野の完全な所有者であると主張する先代鹿志村亀吉との間に紛争が生じ、小繋部落民の立花源八ほか九名が大正六年一〇月一三日右鹿志村亀吉らを相手取り当裁判所に対して、「原告立花源八らが本件山林原野につき草木一切の採取、牛馬の放牧などを目的とする共有の性質を有する入会権を有すること」の確認その他を求める旨の訴を提起し、長年審理を続けた末、昭和七年二月二九日請求棄却の判決がなされたところ、これを不服として宮城控訴院に控訴し、原判決を取り消し右と同趣旨の判決を求めたが、同一一年八月三一日控訴棄却となり、さらにこれを不服として大審院に上告したが、同一四年一月二四日上告棄却となり、その判決が確定したこと、右訴訟の係属中に上告人(原告・控訴人)山本幸吉の地位を被告人山本清三郎において、上告人山本与惣治の地位を被告人山本定蔵においてそれぞれ承継し、上告審の判決書にもその旨が表示されていること、被告人山本満雄は同山本定蔵の二男であつて同被告人を世帯主とする世帯の家族であること、被告人小川市蔵は上告人小川市太郎の長男であつてもと同人を戸主とする家の家族であつたが、その後石太郎を含む世帯における世帯主となつているため、被告人市蔵は前示訴訟の口頭弁論終結後上告人石太郎の地位を承継していることが認められる。以上の認定によれば、被告人らのうち山本清三郎、山本定蔵、山本満雄および小川市蔵の四名はいずれも前示民事訴訟における当事者の承継人たる地位を有する関係上、被上告人(被告・被控訴人)たる先代鹿志村亀吉およびその承継人らに対する関係においていわゆる既判力が生じているため、前示訴訟で主張した内容の入会権を有することを通常の民事手続によつて主張することが許されないわけである。

右のように紛争当事者間において私法上の権利または法律関係の存否につき民事裁判所の確定判決があつたのち、改めて同一の権利または法律関係の存否を刑事裁判所が認定できるか、ことに私権の保護をもつて主要な法益とするいわゆる財産犯事件においてその前提となる私権の存否に関してすでに確定した民事判決があり、当該訴訟の当事者間での紛争が民事手続上解決している場合に、刑事裁判所が再びその点を審理し、民事上の既判事項に反する判断(事実認定)をすることが許されるか否かについては、民事の確定判決が訴訟物につき既判力を有するためその本質をいかに解すべきかということと関連して議論があり、(1)いかなる民事判決といえども刑事裁判所の事実認定を拘束しないと解する説、(2)すべての民事判決が刑事裁判所の事実認定を拘束すると解する説および(3)対世的効力を有する民事判決は刑事裁判所の事実認定を拘束するが、その他の民事判決は拘束しないと解する説などが対立している。刑事判決において先決的民事既判事項に牴触する事実認定をすることは、司法の威信ないし司法における画一的公正さに対する一般の期待または信頼という点からみると甚だ好ましくないことは論ずるまでもないところであるが、民事判決はがんらい私的紛争を解決するため請求の当否を判断し私法的秩序の維持を図ることを目的とするに対し、刑事判決は刑罰権の存否を判断しかつ刑を量定することによつて公共的秩序の維持を図ることを目的とし、両者はその本質を著しく異にしているため、それに伴つて訴訟当事者、訴訟構造、証拠法則、効果その他につき数多くの相違があり、両者は相互に独立した性格を有するものであることを考えると、刑事裁判所の事実認定につき先決的民事判決は単に一の証拠資料としうるにとどまり、その取捨判断はいつに刑事裁判所の自由に属するというべきである(大審院・昭和六年一〇月一日判決、刑集一〇巻五三五頁参照)。ただし形成判決その他既判事項につき対世的効力を伴う民事判決がある場合にあつては、その判決の効力たる法律関係は絶対的であり、刑事裁判所としても一の事実として認めるほかはなくその意味においてこれに拘束されるものといわねばならない。したがつて、当裁判所においては結局前示各説のうち第三説をもつて相当と解するところ、被告人山本清三郎ほか三名に対して既判力を有する前示民事判決が対世的効力を有するものでないことは明らかであるから、当裁判所が本件山林原野につき右被告人らが入会権を有するか否かの認定をするにつき右判決に拘束されることはないというべきである。

(二)  そこで本件山林原野の所有関係および使用収益関係について案ずるに、前訴第一審、同第二審における各判決書、前訴第一審における甲第一号証、第一二ないし第一八号証、第二一号証、第二九ないし第三五号証、第四〇号証の二、六、第四八号証の四、六、証人赤塚治持(第一、二回)、米田貞助、鹿口藤松、大矢伊太郎、若子内与吉高屋敷喜四郎(第一回)、小西太郎、平已之、上村春松に対する各尋問調書、鑑定人中田薫、新渡戸仙岳作成の各鑑定書および検証調書を総合すると、本件山林原野は大字小繋字小繋、同字新館林、同字下平などを囲繞する土地であつて、古来小繋御山と総称された旧南部藩の藩有地の大部分にあたり、同藩の藩庁より小繋部落に居住し、かつ同部落の有力者たる立花喜藤太(累代襲名)なる者が御山守を命ぜられ、右土地ならびにこれに接続し同じく藩有地たる西嶽御山、ほど久保山などの監守の責に任じ、大字小繋の各部落民(その範囲は必ずしも行政区劃たる大字小繋に居住するものに限らない。その点については後に判断する。)などはもとより、喜藤太自身がそれらの山林原野中より建築用材、薪材などを伐採するにも藩役人たる代官の許可を要することとされ、また明治維新後においても本件山林原野につき官民有査定処分がなされるまで従前どおりの制度(山制)が続けられていたこと、ところで他方、小繋部落は往昔より奥羽街道(津軽街道)の宿駅であつて、当時としては比較的繁華な部落を形成し、部落民の多くは旅宿、茶店および荷物運搬などの業に従事し収入を得ていたが、部落周辺の耕地が僅少であつたところから、本件山林原野の所有および使用収益に関する制度が前示のようになつていたにもかかわらず、現実には長年にわたり御山守を命ぜられていた立花喜藤太に対して、労役および豆、麦などを提供し、同人の承認を得たうえ本件山林原野に立ち入り自家用の建築用材、薪炭材を伐採し、秣を刈り取り、牛馬を放牧したりなどして生計を立てこれが使用収益関係を続けてきたことが認められる。以上の事実を考えあわせると、本件山林原野の地盤は明治初年に土地の官民有査定処分がなされるまで、旧南部藩の所有に属する藩有地(官有地)であつたが、小繋部落民は永年にわたる事実的慣行にもとづき、御山守の地位を有する部落民立花喜藤太の統制に服しつつも、いわゆる共有の性質を有しない入会権を取得していたものとみるべきである。

明治六年地租改正が発令され、その実施方針を定めた法令の一である同七年一一月太政官布告第一二〇号によれば、地所を分つて第一種ないし第四種の官有地と第一種ないし第三種の民有地とすることとされたが、本件山林原野は前示のとおり南部藩の藩有地(官有地)であつたから、本来ならば当然これを官有地に編入されるべき土地であつた。しかしながら、地所の官民有査定処分を担当した当局は、明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号、同年一二月二四日同局達乙第一一号ならびに茨城県伺に対する同一〇年五月一九日同局指令など一連の公文書によつて推認されるように形式上官有地とすべき土地であつても、その実体のいかんによつては民有地に編入しうるとする方針をとつていたことがうかがわれるところ、前示認定のとおり小繋部落民が幾多の制限に服しつつも本件山林原野に入会しこれが使用収益を続け永年の慣行により入会権を取得するにいたつた事実、立花喜藤太家が旧藩時代より小繋部落において相当の勢力を有し、また本件山林原野は藩有地であり、喜藤太はたんにその監守を命ぜられた御山守の地位を与えられているにすぎなかつたにもかかわらず、事実上その支配者としてこれを所有すると同様な状態にあり、部落民もまたこれにつき疑問を持たず同人の承認を得て入会をしていた事実に前訴第一審における乙第三三号証、第四六号証、第四七号証を考えあわせると、岩手県当局は本件山林原野に対する右のような使用収益の実情にかんがみこれを民有地に編入するを相当と認め、かつ立花喜藤太の従前よりの特殊な地位を考慮しその地盤は同人の所有とするを相当と認め、明治一〇年五月頃その旨の査定が行われて同人が地券の交付を受け、土地台帳にその旨の記載がなされたものと認められる。もつとも前訴第一審における甲第六号証、第四三号証の一ないし三、証人浪岡赤七の尋問調書などによれば、前示官民有査定処分が行われるにあたり、真実は部落民全員の共有地であるにもかかわらず、手続その他の煩雑を避ける目的をもつて、便宜上部落民のうちの一人の単独所有として届出をし、その旨の査定処分を受け公簿上その一人の所有として取り扱われた事例が東北地方に少くないことが認められないではないが、そのような事例があるからといつて、直ちに立花喜藤太の本件山林原野に対する公簿上の記載が小繋部落民の代表者の趣旨であり、単に名目的なものにすぎないと速断することはできないし、またこれを肯認するに足る証拠もない。

かようにして、官民有査定処分により本件山林原野の地盤は立花喜藤太の個人所有に帰するにいたつたけれども、それによつて小繋部落民は右山林原野に対する使用収益関係に影響を及ぼすべき何らの事情もなかつたので、従前どおり永年の慣行によつて生じたいわゆる共有の性質を有しない入会権を享有行使しうる地位を保持していたが、前訴第一審における乙第一号証、第三号証、第三三号証、第四六号証、第四七号証、証人金子太右エ門(第一回)本堂親厚(第二回)、木内俊郎に対する各尋問調書および本件山林原野についての昭和三二年三月一一日付の不動産登記簿騰本七通によると、立花喜藤太は明治三〇年一一月本件山林原野を棚山梅八ほか二名に売り渡し、同人らはこれを同三一年一一月頃金子太右エ門に売り渡し、同人はさらにこれを同四〇年一月頃先代麗志村亀吉に売り渡し、同年二月一二日同人の所有名義に登記したこと、右亀吉につき大正一〇年六月三日家督相続が開始し、当代鹿志村亀吉が本件山林原野の所有権の移転を受け、昭和一六年二月七日その旨の登記手続を経由し現在にいたつていることが認められる。

(三)  当裁判所が本件山林原野の入会権の存否に関する民事判決の既判事項に拘束されるものでないことは前示のとおりであるが、さきになされた民事判決の理由中に右入会権の消長につき論じている部分があるので、次にその点に関する当裁判所の判断を示すことにする。

1、前訴第一審の判決は、「小繋部落民は本件山林原野に対して有したる物権的入会関係を変更し、これを所有者たる先代鹿志村亀吉との間の契約に基く制限せられたる債権関係、即ち植林の必要上所有者より任意その使用収益の態様範囲を制限せられたる権利関係に改むるも尚亀吉家の植林事業を援助しその拡大隆盛を図り之に依りて従来とは別個の方法に依る収益を得ることをもつて得策なりと思推し、もつて従来有したる入会権を放棄したるものである。」と認定し、前訴第二審の判決もまた、「小繋部落民は先代亀吉が本件山林原野を金子太右エ門より買い受け、造林事業に着手するにあたり、右造林事業とは両立するを得ざる部落民の古来より有する使用収益権を失うも、造林事業により間接に部落民の取得し得べき利益を獲得するをもつて得策なりとし、明治四〇年中暗黙裡に従来有したる共有の性質を有せざる入会権を放棄したるものと解するを相当とする。」と認定している。

前示のように、本件山林原野につき小繋部落民は共同で使用収益し入会権を取得していることが認められるが、かような場合にあつては、特別の事情がない限り、その権利関係は実在的総合人たる部落団体の総有とみるべきであるから、これが廃止(消滅)は入会権者全部、すなわち小繋部落全住民の同意を要すると解すべきである。しかるに、全証拠によつても右原則に反する特別の事情の存在したことが認められず、かつ当裁判所昭和二一年(ワ)第一三号入会権確認妨害排除請求事件(以下「後訴第一審」という。)における証人立花長之助、立花義松、小川石太郎(第二回)、山本ヒデ、原告山本善次郎本人に対する各尋問調書によれば、先代鹿志村亀吉が本件山林原野の所有名義人となつた当時における小繋部落の戸数は三〇余戸であつたが、亀吉の右山林原野の植林その他の経営問題に関連して、従来より有した入会権を放棄したのは、右戸数中の一部のものにすぎず、その他の部落民はこれが放棄につき明示もしくは黙示の意思表示をした事実が認められないので、それによつて部落民全員の有する入会権放棄の効果が生ずるいわれはない。

2  また後訴第一審の判決は、「鹿志村亀吉は所有の意思をもつて平穏公然に地盤をも含む本件山林原野を占有したるにより遅くとも昭和一一年末同山林原野につき小繋部落民の入会権の付着しない完全な所有権を時効により取得したものというべきであつて、これにより小繋部落民の前示入会権は消滅に帰した。」旨認定している。

しかしながら、前訴第一審の訴状、判決書、同第二審の判決書、同第三審の判決書によれば、本件山林原野についての入会権の存否に関し鹿志村亀吉らと小繋部落の一部の者との間に紛争を生じ、大正六年一〇月一三日当裁判所に訴が提起され、爾来昭和一四年一月二四日上告棄却の判決のあつたことが認められるところ、時効によつて利益を得るものに対し裁判上の請求をすると時効の進行が中断し、中断後の時効がさらに進行するのは中断終了の時、すなわち裁判上の請求にあつては裁判が終了したときであるから、本件山林原野の入会権をめぐる時効の起算点は右上告審判決の確定した日の翌日である昭和一四年一月二五日であるというべきである。のみならず、証人小川石太郎の第八回公判期日における供述記載、証人土川マツエの第一〇回公判期日における供述記載によれば、大正六年の小繋部落の大火以来鹿志村亀吉方では本件山林原野に山廻りを置いたり、請願巡査を設置したりなどして小繋部落民の入会慣行を妨げ爾来右訴訟の前後を通じて間断なく紛争を続けて今日におよんだことが認められるから、その間における鹿志村亀吉の本件山林原野についての占有が平穏かつ公然たるものであつたとはとうてい認められない。したがつて、いずれにしても鹿志村亀吉が本件山林原野につき小繋部落民の入会権が付着しない完全な所有権を時効によつて取得したとする前示判決の認定はこれを支持することができない。

(四)  後訴第一審の判決で敗訴した原告立花兼松ほか一〇名はこれを不服として仙台高等裁判所に控訴し審理が続けられたが、そのうち同裁判所で該訴訟を職権で調停に付しこれを進めていつた結果、昭和二八年一〇月一一日当裁判所で開かれた調停において、当事者および利害関係人らとの間で本件山林原野の入会権に関して調停が成立したとして、その旨の条項の記載された調停調書が作成されているので、該調停の経緯、内容および成否ないし効果などについて次に考察する。

1、仙台高等裁判所昭和二七年(ネ)第三〇号入会権確認妨害排除調停事件につき同二八年九月一九日当裁判所で開かれた調停期日の調書、右事件を同裁判所昭和二六年(ネ)第一九五号入会権確認妨害排除請求控訴事件(以下「後訴第二審」という。)の調停事件に併合し同二八年一〇月一日当裁判所で開かれた調停期日の調書、当裁判所の証人片野源次郎に対する昭和三二年九月四日付および同五日付の各尋問調書、同証人の第一一回公判期日における供述記載、当裁判所の証人山火又三に対する尋問調書、当裁判所の証人山本善次郎に対する尋問調書、同証人の第一一、一二回公判期日における各供述記載、証人佐藤邦雄の第二四回公判期日における供述(ただし被告人斎藤実に対する関係においては同上公判調書中における同証人の供述部分。以下これに同じ。)を総合すると、次の事実を認定することができる。

後訴第二審を担当した仙台高等裁判所第一民事部では当初通常訴訟手続により審理を進めていたが、昭和二八年五月二〇日の口頭弁論期日に該事件を職権をもつて自庁の民事一般調停に付する旨を決定し、爾来調停主任判事谷本仙一郎および調停委員国分謙吉、阿部千一、吉田文一郎および佐藤邦雄の四名が調停委員会を構成し調停を行つていつた末、同年九月一九日の調停期日に、(イ)小繋田子両部落の世帯主は利害関係人として調停事件に参加すること、(ロ)被控訴人鹿志村亀吉は小繋田子両部落民に対し金二〇〇万円またはこれに相当する立木を提供し、また実測一五〇町歩の山林を無償で解放すること、(ハ)本件山林原野のうち、右解放地以外の地域につき小繋田子両部落民が入会権を有しないことを確認する方途を講ずること、という趣旨の調停条項に関する調停委員会案を提示したところ、控訴代理人らはこれを部落民と協議したいと述べ、被控訴代理人らも考慮したいと述べ期日が続行され、さらに調停が進められた。ついで昭和二八年一〇月一一日午前一〇時当裁判所で開かれた調停期日において、後訴第二審の調停事件に仙台高等裁判所昭和二七年(ネ)第三〇号入会権確認妨害排除調停事件が併合され、かつ控訴代理人の申出により小繋部落民たる山火又三ほか一一名、田子部落民たる田子又吉ほか一一名が、被控訴代理人の申出により小繋部落民たる笹枝スワほか二二名、田子部落民たる本宮トモエほか三八名がそれぞれ利害関係人として右調停に参加したうえ、調停委員会で出頭した当事者および利害関係人ならびにそれらの代理人らに対して調停を試みたところ、およそ次のような条項を含む調停が成立したとして、その旨の調書が作成された。

(1) 控訴人らは被控訴人らに対する後訴第二審などで主張する各請求を放棄し、控訴人全員、被控訴人立花鉄郎、同川口甚之輔および利害関係人全員(以上の者を以下「甲」と略称する。)は本件山林原野を含む別紙目録記載の土地(その地上樹木その他毛上一切を含む。以下同じ。なお、上記別紙目録は便宜上ここでは省略する。)について、将来、入会権(共有の性質を有するものたると、これを有せざるものたるとを問わない。)その他何らの権利をも主張せず、また過去において右の権利を有したことを理由とする何らの権利をも主張せず、かつ右土地が被控訴人鹿志村亀吉、同鹿志村善次郎(この両名を以下「乙」と略称する。)の各所有であることを確認する。

(2) 乙は控訴人全員に対し金二〇〇万円を贈与する。

(3) 乙は甲に対し、別紙目録記載の土地のうち字新館林八七番の二を基調として、人工天然造林地でない土地約一〇〇町歩および字西田子七三番の二の一を基調として、人工天然造林地でない土地約五〇町歩、その合計実測一五〇町歩を贈与する。

(4) 前項の贈与の目的たる土地の選定は甲、乙の協議によつて決定する。もし甲、乙の協議が昭和二八年一〇月二〇日までに成立しない場合は、甲、乙は本件の調停委員佐藤邦雄、同吉田文一郎の裁定にしたがうものとし、その裁定に対しては甲、乙ともに異議を述べない。

(5) 甲は別紙目録記載の土地中、第三項に記載の土地以外の場所には絶対に立ち入らぬものとする。

(6) 甲は乙の植林事業およびこれに伴う伐木搬出などにつき一切妨害をしない。

なお、利害関係人片野源次郎は右調停期日に出頭したが、同期日の調書には同人が利害関係人山火又三ほか一〇名の代理人として記載されている。

2  ところで、前示昭和二八年一〇月一一日付の調停調書、調停委員吉田文一郎、佐藤邦雄共同作成の同二九年一月六日付の裁定書と題する書面、調停委員佐藤邦雄作成の同年一月二三日付の「裁定書送付について」と題する書面五通、差出人佐藤邦雄、受取人片野源八ほか四名の同年同月二二日付盛岡郵便局受付の書留郵便受領証、証人片野源次郎の第一〇回公判期日における供述記載および証人佐藤邦雄の第二四回公判期日における供述を総合すると、前示のとおり調停条項第四項において、贈与の目的たる土地の選定はまず甲、乙の協議によつて決定することとし、もし甲、乙の協議が昭和二八年一〇月二〇日までに成立しないときには、甲、乙は調停委員佐藤邦雄、吉田文一郎両名の裁定にしたがうものとし、その裁定に対しては、甲、乙ともに異議を述べない旨定められたが、甲、乙の協議が所定の期日までに成立しなかつたため、調停委員佐藤邦雄、吉田文一郎の両名は係争現場に臨み実地を踏査したうえ、乙が甲に贈与すべき土地を選定し、昭和二九年一月六日付の裁定書と題する書面に選定した山林原野の地番を記載したうえ、その実測図面二葉、実測野帳二冊を添付したものを作成し、かつ調停委員佐藤邦雄が昭和二九年一月二三日付の「裁定書送付について」と題する書面を添えて、(イ)利害関係人山火又三ほか一一名の代理人兼利害関係人片野源八、(ロ)利害関係人立花松五郎ほか一九名の代理人兼利害関係人立花善一、(ハ)利害関係人山本清三郎、(ニ)利害関係人立花義松ほか一〇名の代理人兼利害関係人田子三蔵、(ホ)利害関係人本宮トモエほか三七名の代理人兼利害関係人田中五三郎に宛て、昭和二九年一月二二日盛岡郵便局受付の書留郵便をもつてそれぞれ発送したこと、片野源八は前示調停成立の期日に利害関係人として参加したが、同期日には出頭せず、当日出頭した立花善一がその代理人となつている旨調書に記載されていることおよび片野源次郎に対しては右裁定書および付属書類が送付されていないことが認められる。

前項において認定したとおり、片野源次郎は前示調停に利害関係人として参加するとともに利害関係人山火又三ほか一〇名の代理人として同期日に出頭した旨調書に記載されているのであるから、当然右源次郎に対し裁定書が送付されねばならぬところ、調停委員佐藤邦雄において右裁定書を発送するにあたり、利害関係人片野源八は同山火又三ほか一〇名ならびに片野源次郎の代理人たる地位を有しないにもかかわらず、利害関係人片野源八がその代理人であると誤認し、同人に対し裁定を送付したものというべきである。前示調停条項の趣旨によれば、調停条項第四項にもとづいて裁定がなされ、これを明らかにする書面が当事者および利害関係人全員に対し送達されてのち始めて調停の内容が確定しその効力を生ずると解すべきところ、右のとおり利害関係人山火又三ほか一〇名および同片野源次郎に対しては裁定の内容が告知されていないので、右調停は未だその効力を生ずるにいたつていないといわねばならない。

3  前に認定したとおり、小繋部落民は本件山林原野につき入会権を有するものと認められ、また前示調停はその成立過程、調停条項その他の全趣旨を勘案すると小繋部落民そのほか入会権を有する者がその権利を放棄することを内容としていると解せられるところ、調停その他において入会権を放棄するためには入会権者全員が参加してその旨の意思表示をせねばならぬことは、前示のとおり本件入会権が総有の性質を有する関係上当然であるといわねばならない。よつて入会権を有する部落民で前示調停に参加しなかつた者の有無について案ずるに、前示昭和二八年一〇月一一日の調停調書、二戸郡小鳥谷村長より当裁判所刑事部裁判長宛の昭和三二年六月二五日付の回答書と題する書面、後訴第二審における新甲第一号証の三、仙台高等裁判所の証人若子内与三郎に対する尋問調書、証人若子内与三郎、片野政吉の第九回公判期日における各供述記載証人山火又三、片野源次郎の第一〇回公判期日における各供述記載を総合すると、若子内与三郎は明治二六年五月四日本籍たる二戸郡一戸町(旧小鳥谷村)大字小鳥谷字笹目子四三番地に出生し、引続き同地で生育して炭焼、農業などに従事して今日にいたつたものであるが、民法改正前の戸主の地位を有し、前示調停の成立した当時は世帯主であつたこと、右与三郎の家は大字小繋字小繋の部落より若干離れていて笹枝ソノ、笹枝スワ(同女死亡後は政次郎)および笹目子市太郎を世帯主とする三戸と近接し小部落を形成しており、笹枝ソノの家の地番は大字小繋字下平四番地、笹枝スワの家の地番は同下平五番地笹目子市太郎の家の地番は大字小鳥谷字笹目子二二番地であるが、右四戸はいずれも大字小繋字小繋の部落民と同様に本件山林原野に対する入会慣行を続けており、ことに笹目子市太郎と与三郎の家の所在地番は共に大字小鳥谷であるが、経済生活、社会生活とくに山野の使用収益関係については大字小鳥谷の部落とは交渉がほとんどなく、むしろ大字小繋の部落民と変ることがないこと、右四名のうち与三郎を除くその余の三名はいずれも利害関係人として調停に参加していること、前示調停の成立する直前頃の夕刻鹿志村亀吉の甥で同人の代理人たる鹿志村光亮が与三郎の家に同人を訪ね、「今度小繋山につき調停ができることになつたが、お前だけ調停から除かれると山に入れなくなるから、この書面に印鑑を押せ。」と申し述べ、所持していた一葉の書面を差し出しこれに押印を求めたが、与三郎において一応他の部落民に相談したうえで返事をすると答えたため、光亮もやむなくその場を立ち去つたこと、光亮の言を聞き不安を感じた与三郎が翌朝部落民の代表的地位にあり常時調停に関与していた山本善次郎方に同人を訪ねその点を質したところ、同人が一葉の書面を示しこれに押印すれば心配はないと言うので、与三郎はその書面に自己の印鑑を押捺したことが認められる。

以上の点を考えあわせると、若子内与三郎はその家の所在地の行政区劃が大字小鳥谷字笹目子であるにもかかわらず、同じく字笹目子に居住する笹目子市太郎および大字小繋に居住する部落民らと同様に本件山林原野についての入会権者であると認めるを相当とする。そうだとすれば、前示調停において入会権者の一人たる若子内与三郎が当事者もしくは利害関係人として参加しないままに入会権の放棄を内容とする条項を定めても、その効果を生じ得ないというほかはない。なお、後訴第二審の控訴人立花兼松ほか六名よりの期日指定の申立に対する判決書および同判決の確定証明書によると、前示調停を不服とする後訴第二審の控訴人立花兼材ほか六名の者が昭和二八年一二月一四日付をもつて仙台高等裁判所に対して、後訴第二審事件につき口頭弁論期日の指定の申立をしたところ、同裁判所は審理のうえ、同三〇年七月二八日後訴第二審の訴訟は昭和二八年一〇月一一日同裁判所のした調停によつて終了した旨の判決を言渡し、その理由中において、前示若子内与三郎は本件山林原野に入会権を有する岩手県二戸郡小鳥谷村大字小繋の部落民でないと認定しているが、当裁判所が右認定事実に拘束されず、独自の立場で入会権者であるか否かを認定できることは前に述べたとおりである。

4  したがつて、後訴第二審の調停に関与した控訴人および利害関係人らが本件山林原野につき将来入会権その他何らの権利をも主張せず、無償で解放された土地以外には立ち入らないことなどを内容とする前示調停は形式的にも実質的にも無効であるから、その当事者および利害関係人ならびにその家族たる地位を有する被告人らがこれに拘束されるいわれはない。

四、以上の説示によつて明らかなように、大字小繋の部落民たる被告人山本清三郎、小川市蔵、立花金作、山本定蔵および山本満雄はいずれも本件山林原野につき草木ならびに果実の採取などを目的とする共有の性質を有しない入会権を有するものであつて、前示民事判決および調停によつてもその地位に消長を来たさず、引き続きその権利を保有しているとみるべきである。そうだとすれば、本件公訴事実のうち右被告人ら小繋部落民が本件森林に立ち入りその産物たる杉、檜などの立木を伐採することは入会権の行使として当然容認される行為であり、したがつて小繋部落民およびそれらの者より依頼を受けた者が右伐採された立木を運搬したことをもつて違法な行為と目することはできない。してみると、本件公訴事実のうち、被告人山本清三郎、小川市蔵、立花金作、山本定蔵、山本満雄、斎藤実および藤本正利らにかかる森林法違反の点は、結局いずれも犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法第三三六条に則り無罪を言渡すことにする。

(裁判官 降矢艮 岡垣学 矢吹輝夫)

(物件目録略)

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